自分が今、何のために何を練習しているのか?を認識すること |
・立位で前から肩を手で押さえて止めているのに対して、下丹田から歩くことで相手は押さえ切れずに一緒に歩いてしまう練習。これは昔、身体力学研究会の飯田先生に教えてもらったこととほぼ同じ練習方法だが、野本先生の身体の使い方の精度はとても高く、前からも後ろからも二人がかりで押さえても普通に歩いてしまう。そして、パッと手を放してもまったく動きに変化が出ない。真正面にいなくても先生が歩くのに触れたら、重心が崩されて投げられてしまう。まさに歩けば、即武道。簡単なようでとても難しい。
・触れて投げる練習。そのときに腰が残ってしまうので相手が崩れない。私の腰は無意識に後ろに引けているらしいので、前に入れるような意識をするとちょうどよい。中国武術の人は腰を固めて安定させる動きが多いからではないか?と言われた。通背券の身体の使い方がそうだとは思わないが、「腰まわりは安定しているのが良い」という世界観にずっと生きていたので、パラダイムシフトができるともっと自由に身体を扱えるようになると思う。
・お辞儀をするようにすると相手が崩れる。また、相手に触れている自分の腕の形を変えるだけで相手への力の伝わり方が変わる。身体の基本構造、動きの連動性をよく理解していると無理なく、身体を壊さない動きになる。
・推手のような形になって相手の腕と自分の腕を触れたところから崩す練習。相手の意識がどこまで入っているか?を感じたら、その意識が届いていないところから操作すると相手は崩れてしまう。相手の意識がどこまで出ているのか?を感じながら技をかけることで、絶対に不利な死に体の状態からでも、相手を崩すことが可能になる。
・相手との距離感を感じ、相手と関わりながら、相手の意識の及ばないところから崩していく練習をしていると、野本先生は「でも、自分がゼロになったら、相手の意識やオーラの状態なんて関係なくかけれるんだけれどね」とあっさり今やっていた練習内容の前提とまったく違うことをやって見せてくれた。この転換の速さ、自由さが古武術的なのだろうと思う。普通の道場だと「これがただしいやり方だ」「これをしなさい」でやり方は1つに絞るようなものだが、ここでは「こんなやり方もあるよ」「こういうやり方もできるよ」「あなたは何がしたいの?」という調子なのだから、まったくスタンスが違う。自分が今、何のために何を練習しているのか?が分からないとまったく意味がないのだ。
・応用として相手にぶつけられた意識を外したり、自分の意識を後ろに置いた状態で相手の間合いに入っていくなどをデモンストレーションで見せていただく。これは日野晃先生がビデオでやっていた内容とほぼ同じ。12年ほど前に少林寺拳法仲間でやっていた「攻撃線」や「仮想重心」の練習そのもの。ちなみに「先の先」は相手の攻撃意識の起こりを捉えることで居着かせること。そんな練習をやっていたことがバーッと思い出された。自分の攻撃意識を消すと気配が消えて、相手の間合いに入ることができる。魂合気の先生には「後ろの音を聞くように」と言われたがそれも同じことだと思う。野本先生の解説はとてもわかりやすく、過去にやってきたぶつ切りの練習が「ああ、そういうことか!」とどんどん繋がっていくので面白い。
・最後に実際に体術がどう剣術に活きるのか?を教えていただいた。手から相手の剣を払おうとしても動かないが、下丹田から動かすことで相手の剣がスッと動いて崩せるのだ。「体術ができない人が剣を振り回しても意味ないからね」と言われていた。なるほど、納得。モノを扱う前に自分の身体を精密に扱えないといけないのだ。これは施術にもまったく通じるものだなと思った。